バイオリンの鬼才パガニーニの【生涯】と【おすすめ作品】(前編)
イタリアを代表する音楽家で、クラシック音楽史上最大のバイオリンの鬼才と言われている「Nicolò Paganini」(ニコロ・パガニーニ)について、前編、後編の2回に分けてご紹介いたします。
ニコロ・パガニーニは、19世紀初めに活躍した、イタリア出身の音楽家ですが、当時、超人的な演奏技巧を持つバイオリニストとしてヨーロッパ中にその名を馳せていました。
パガニーニの作品は、彼自身の超人的な演奏技巧を披露するために書かれたもので、難曲ぞろいです。
彼は、その超絶技巧を他の音楽家達に模倣されないように、楽譜に書き記すことを嫌ったため、残念ながら出版された作品は、ほんのわずかでした。
しかし、パガニーニの素晴らしい演奏を聴いた、同時代のロマン派の多くの作曲家(リスト、ショパン、ブラームス他)に、大きな影響を与え、「パガニーニの主題による変奏曲」や、「主題を用いた練習曲」などの作品が数多く作曲されました。
(これらも、超絶技巧の作品です!)
そんな彼の生涯と、素晴らしい作品の中から、おすすめの曲をご紹介いたします。
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パガニーニの生涯(前編)
Nicolò Paganini(ニコロ・パガニーニ)は、1782年11月27日、北イタリアのジェノヴァという街で生まれました。
父親の Antonio(アントーニオ)は、港町ジェノヴァで貨物船の荷物の揚げ降ろしの作業をする、港湾労働者でした。
正式に音楽の勉強をしたことはありませんでしたが、自己流でギターやバイオリンを弾いていました。
母親の Teresa(テレーザ) も、音楽家ではありませんでしたが、たった1度聞いただけのメロディーでも、正確に美しい声で歌うことが出来たそうです。
少年時代の Nicolò(ニコロ)は、とても腕白で近所の子供たちと悪戯をしたり、ケンカをしたりしていましたが、家の近くにある San Lorenzo 聖堂の鐘の音があたりに響きわたると、どこかへ姿を消してしまい、何時間も戻らないことが度々ありました。
ある日、母親がこっそりニコロの後をつけていってみると、聖堂の中のベンチに跪いてオルガンの音に聴き入りながら涙を流していたそうです。
こちらの写真が、San Lorenzo 聖堂です。
ある時、ニコロは父親が仕事に行っている間に、父のバイオリンを探し出して弾いてみようとしました。
それからというもの、一人になるとこっそりバイオリンを練習して、数週間後には、母の歌う歌を真似て弾けるまでになりました。
6歳の頃にようやく、正式に先生についてバイオリンを習うようになり、その後、和声や対位法などの基礎を学び、8歳の頃には、ソナタを作曲するまでになりました。
しかし、この初めて自身が書いたソナタは、コレルリやタルティーニの大抵の曲を弾けるようになっていたニコロ自身も、完全な演奏が出来ないほどの難曲でした。
その後、侯爵の晩餐会や演奏会にも出演するようになったニコロは、周りのすすめで、パルマの有名なバイオリニスト、アレッサンドロ・ロラ、作曲家のパーエルらのもとで本格的に音楽の勉強することになりました。
その後、パルマに行き「バイオリン」「作曲」「音楽史」などをさらに学び、瞬く間に師を凌ぐほど上達。
ミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ピサ、リヴォルノなどイタリア各地で演奏会を開くまでになり、1年間でかなりの収入を得ることができました。
その後1798年に、ジェノヴァに戻りましたが、賭博好きだったニコロの父親は、この演奏会で得た大金をあっという間に賭け事で使い果たしてしまいました。
これに懲りずに父親は、息子に演奏させてまた大儲けをしようと企み、1日中ニコロを部屋に閉じ込めて練習をさせ、それを監視するために、とうとう仕事まで辞めてしまいました。
ニコロは、そんな父親の思惑とは関係なく、憑かれたように数十時間も練習を重ね、難しい重音や、3度のダブル・トリルなども難なく弾けるまでになり、さらに1度に2つのメロディを響かせる重音奏法の習熟に専念するようになりました。
(当時、そんな超絶技巧を駆使した作品はまだ誰も書いていませんでした)
1800年の初め頃、トスカーナ地方にあるルッカの街では「San Martino 祭」に、たくさんの演奏会が催されていたため、すでに18歳になっていたニコロは、父親の権力から逃れるため家を出て、ルッカへと向かいました。
ルッカでの演奏会は大成功をおさめ、莫大な収入を得ましたが、彼もまた父親譲り?の賭博好きで、自身の大切な名器「ベルゴンツィ」を借金の形として取られてしまいました。(゚Д゚;)
1801年、すでにイタリア全土で有名になっていたニコロですが、突然4年もの間、謎の失踪をしてしまいます。
パガニーニが記した日記には、
「この間、私は農園の経営に携った。そしてギターをひく趣味をもった。」
(フランツ・ファルガ著 「小説パガニーニ」より、引用)
と、書き記されていたそうですが、実は一人の裕福な若い未亡人を熱愛していて、彼女と、ピサの近くの城に住み、領地の管理にも携り、ギター愛好家だったこの女性と共に音楽も楽しんでいたようです。
この時期に、12曲の「ギターとバイオリンのためのソナタ」他、多数の室内楽曲が作曲されました。
この頃の作品は、超絶技巧を前面に出した作品というよりも、愛らしく美しい流れるようなメロディのものが多い印象です。
愛する女性の弾くギターに合わせて、ニコロが楽しんで演奏していた様子が目に浮かぶような?甘い旋律の作品です。( *´艸`)
その中から、とても美しい作品を一部をご紹介いたします。
「Centone di Sonate No.2 」より、1楽章 Adagio Cantabile
演奏:Gil Shaham(violin)、 Göran Söllscher(guitar)
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4年間の失踪事件の後の1805年、突然公の場に姿を現したニコロは、再び以前のように多くの演奏会を開きました。
この4年間の隠遁生活?の間にさらに磨きがかかった彼の演奏に、人々は驚き「悪魔と契約を結んだ」などと言われるほどでした。
かつて演奏会を開き大成功をおさめた、ルッカの街にも再び訪れて演奏しました。
1805年当時、ルッカの街はナポレオンに支配されていて、この地の大公ピオンビーノの妃だったナポレオンの妹エリーズは、パガニーニをとても気に入り、宮廷独奏者に任命したため、ニコロは3年間この街にとどまりました。
1807年8月15日、大公妃は兄ナポレオンの誕生日のために、ニコロに何か作曲して演奏するよう命じました。
そして、その時に書かれたのが、「ナポレオン・ソナタ」という作品です。
G 線(バイオリンの一番低い音の弦)1本だけが張られた楽器で、あたかも2重音を演奏しているような効果や、トランペットや太鼓のような音色を出したり、フラジオレット(倍音)を駆使して高音を響かせるなど、様々な技巧を織り交ぜられたこの作品は、聴衆を、あっと驚かせました。
しかし、素晴らしい演奏で多くの女性たちから人気を集めていたニコロに、嫉妬心をいだいた大公妃は、次第に彼につらく当たるようになりました。
そんな大公妃の事をだんだん疎ましく感じるようになったニコロは、1808年、ルッカの宮廷を後にすることを決意。
北イタリアのトリノの街で、ボルゲーゼ公に謁見し演奏会を開くよう命じられていたこともあり、トリノへと向かいました。
そこでもこの「G線上のナポレオン・ソナタ」を演奏し絶賛されます。
トリノの大公妃パウリーヌ(彼女もナポレオンの妹!)がすっかりパガニーニの演奏に心を奪われ、その後道ならぬ関係となってしまいました。
その噂が周りでささやかれるようになると、ニコロはルッカの街を後にした時と同じように、トリノの王宮から逃げ出しミラノへ逃亡。
しばらくの間、公の場に姿を見せませんでした。
そして、1814年からおよそ15年間、イタリア全土で演奏会を開き絶賛を博しました。
ちょうどその頃、オペラの作曲家として、すでに名声を得ていたロッシーニとボローニャで知り合い、後にロッシーニのオペラのアリアを主題にした変奏曲をいくつか書いています。
特に有名な作品が「モーゼ幻想曲」
モーゼ幻想曲
モーゼ幻想曲とは、
ニコロ・パガニーニが作曲したヴァイオリンと管弦楽のための作品。
正式なタイトルは「(ロッシーニのオペラ)「エジプトのモーゼ」の『汝の星をちりばめた王座に』による序奏、主題と変奏曲」
(Introduzione, Tema con Variazioni sulla preghiera “Dal tuo stellato soglo” dal “Mose in Egitto”)
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
パガニーニの作曲した変奏曲は、シンプルな主題に独特の輝くばかりの装飾を施しながら発展していき、その至難なテクニックを見ているだけで圧倒され、深い感動に誘われます。
この作品もG線1本だけで、多彩な超絶技巧が繰り広げられる難曲です。
イタリアオペラらしい、哀愁を帯びた美しいメロディもお楽しみくださいませ。
こちらの動画の演奏者の楽器に弦が1本しか張られていないことにもご注目!
(驚) ↓ ↓ ↓
演奏:Antal Zalai(アンタル・シャライ)
そして、この後ニコロは、ヴェネツィアで、Antonia Bianchi(アントーニア・ビアンキ)という合唱団で歌っていた女性歌手と知り合いになり恋に落ちます。
そして、またもや波乱の人生が待ち受けているのですが…
(゜o゜)
このあとの、まだまだ長~いお話は、後編に続きます。
どうぞお楽しみに。
後編はこちらです>>
miketta-violinista.hatenablog.com
パガニーニのおすすめ作品
たくさんの名バイオリニストの演奏の中から、個人的に大好きな、尊敬するバイオリニスト
の演奏を選んでみました。
Niccolo Paganini : 24 Capriccio (24のカプリッチョ)
Capriccio(カプリッチョ)とは、イタリア語で「奇抜」または「気まぐれ」という意味ですが、音楽用語では、形式に縛られず自由に書かれた曲のことを指します。
1曲1曲は、短い作品ですが、
- 低音から高音を駆け巡る、速いパッセージ
- 左手のピッツィカート
- 重音
- フライイング・スタッカート
- フラジオレット
など、見た目の演奏効果も高く難しいバイオリン奏法がちりばめられた独奏曲です。
(YouTubeより引用させていただきました)
「Capriccio No.1」
鮮やかなフライイング・スタッカートと重音奏法にご注目!
演奏:Augustin Hadelich(オーガスチン・ハーデリッヒ)
「Capriccio No.24」
左手のピッツィカートやフラジオレット、様々な超絶技巧がこれでもか!というほど盛り込まれた作品
演奏:Maxim Vengerov(マキシム・ヴェンゲーロフ)
「Capriccio No.1,No.5,No.24」
演奏:Itzhak Perlman(イツァーク・パールマン)
Sonata No.12 Op.3-6(ソナタ 12番 作品3-6)より
こちらは、独奏ではなく、ピアノとの二重奏ソナタです。
哀しくも美しいメロディと、華やかな重音、左手のピッツィカートなどの超絶技巧の対比をおたのしみくださいませ。
演奏:Itzhak Perlman(イツァーク・パールマン)
参考文献
- フランツ・ファルガ著「小説パガニーニ」
- Riccardo Allorto「Nuova storia della musica」
最後までお読みくださりありがとうございました。
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