イタリアのすすめ

イタリアについてのあれこれを書き綴ったブログです。時々本業のクラシック音楽についても語ります。どうぞよろしくお願いいたします。

バイオリンの鬼才パガニーニの【生涯】と【おすすめ作品】(後編)

 

バイオリンの鬼才パガニーニ(後編)

 

前編は、パガニーニヴェネツィアで、アントーニア・ビアンキという女性と知り合ったところまで書きました。

 

今回の後編はその続きです。

 

 

前編の記事はこちらです。

よろしければご覧くださいませ。

miketta-violinista.hatenablog.com

 

 

 

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 パガニーニの生涯(後編)

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Venezia

 

 各地で演奏会を開き大成功をおさめたニコロは、1822年、ヴェネツィアへやって来ました。

そろそろ、いままでの孤独ですさんだ生活に別れを告げたいと思い、将来のことについて考え始めていた矢先、合唱団の歌手だったAntonia Bianchi(アントーニア・ビアンキ)という女性と知り合いました。

 

その後、彼女と半年以上もシチリアで生活し、1825年には男の子が生まれました。

ニコロとアントーニアは、息子にAchille(アキッレ)という名前を付け、特にニコロは、息子をとても愛し可愛がっていました。

 

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シチリア エトナ火山(Sicilia)

 

一方、アントーニアは、もともと虚栄心が強く浪費家だったことに加え、だんだん口うるさくなってきて、ニコロを悩ませ始めます。

 

その頃、ローマ教会からは、

パガニーニは、悪魔の弟子としてこの世に生まれ、その人間離れした演奏によって、大衆を誘惑して、多大なる利益を得ている」

 

などと言われ、ニコロは不当な攻撃にもあっていたのです。

 

ニコロは、そんな教会の公的見解など無視して演奏会を続けていました。

 

しかし、アントーニアとも正式に結婚していなかったため、当時世間では、呪われた人間だと噂され、教会との不和がさらに深刻になっていました。

 

そんな中、1828年ニコロは、アントーニアと愛息子アキッレを連れて3人で、ウィーンへ旅立ちます。

 

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ブルク劇場(Wien)

 

 

ニコロがウィーンに行った時、ベートーヴェンはすでに1年前に亡くなっていましたが、シューベルトが、ニコロの演奏を聴いてとても感激し、

パガニーニアダージョに、私は天使の歌を聴いた」

(小説パガニーニより引用)

 

という、最高の賛辞を贈りました。

 

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St.Stephens Dom(Wien)

Mozartが結婚式を挙げたことでも有名な、

ウィーンの聖ステファン大聖堂

 

ウィーンでの演奏会は大盛況で、予定していたよりさらに多くの演奏会を開かなければならないほどの人気でした。

 

そんなパガニーニの人気にあやかろうと、ウィーンの街のパン屋さんには、丸いパンの代わりにバイオリンや弓をかたどった「ア・ラ・パガニーニ」というパンが売られていたり、「パガニーニ・ステーキ」「パガニーニ・フリカッセ」など様々なパガニーニの名を冠した商品が売り出されるようになるほどでした。

 

現代でも似たようなことを、あちらこちらのお店でもやっていますね!(笑)

 

その後、5年の歳月が流れ、とうとうアントーニアとニコロは破局

ニコロはアントーニアに年金(現代で言う、慰謝料のようなもの)を保証し、息子のアキッレの親権を得、ニコロは、この時から愛息子と2人で生活することになりました。

 

幸い、各地で開いた演奏会は相変わらず大盛況。

新聞には、酷評を書かれたり、ニコロの人気を妬んだ他の音楽家たちからの様々な妨害にあいながらも、演奏会のチケットはすぐに全て売り切れ、さらに入場料も5倍に跳ね上がることもざら、というほど人気を博していました。

 

 

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ブランデンブルク門(Berlin)

 

ニコロは、5歳になった愛息子のアキッレを連れて、今度はドイツに向かいました。

ベルリンでも演奏会は大盛況のうちに終了。

 

 

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パリのリュクサンブール公園内にある

ショパン記念碑

ニコロの素晴らしい演奏の噂を耳にしたショパンも、演奏会を聴きに来ていました。

ショパンはニコロの演奏に心底感激し、その後全ての演奏会に行くほどの熱狂ぶりでした。(現代で言う、追っかけ?!のような状態ですね?!)

 

そして、後に「パガニーニの思い出」という美しい作品まで作曲しています。

 

パガニーニの作品の特徴(低音から高音を駆け巡る速いパッセージ、半音階的な重音のパッセージなど)を巧みに捉えつつ、ショパンの作品のにみられる洗練された美しさも併せ持つ素敵なピアノ曲です。

 

「Chopin :Souvenir de Paganini」(ショパン作曲 パガニーニの思い出)

 

演奏:Vladimir Ashkenazy(ウラジミール・アシュケナージ


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ニコロはその後、ドイツのフランクフルト、ダルムシュタットマインツマンハイムなどを含む20か所で演奏会を開き大成功を収めました。

 

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Frankfurtの街並み

 

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ダルムシュタット

(Darmstadt)

  

 

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マインツ ロマネスク様式の大聖堂

(Mainz)

 

 

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マンハイム イエズス教会 

Mozartも絶賛した美しい教会

(Manheim)

 

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「Carnevale di Venezia」

超絶技巧の代表作「ヴェネツィアの謝肉祭」は、この時のドイツの演奏旅行でも大評判の作品でした。

  

映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリン」主演・製作総指揮・音楽担当でもお馴染みの、David Garrett(デイヴィッド・ギャレット)の演奏でお楽しみください ♪

 

左手のピッツィカートなど、華麗な超絶技巧を楽々と楽し気に演奏する様子が素敵です!

 


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ショパンの他にも、当時の音楽家たちは、パガニーニの作品の構成の素晴らしさや、オリジナリティを絶賛し、彼の作品の主題を用いた作曲を数多く書きました。

 

 

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パリ オペラ座

当時、パリで成功することは、

ヨーロッパ中で最も価値のあることでした

1831年パガニーニもここで演奏しました

 

パリで行われた演奏会で、ニコロは、パリの人々のために特別に書いた「バイオリン協奏曲 ニ長調」を演奏しました。

 

1832年、21歳だったフランツ・リストも、パリでショパンと同様、ニコロの演奏を聴きとても感銘を受け、自身も「ピアノのパガニーニになる!」と決意して、パガニーニのバイオリン協奏曲2番の終楽章を編曲し、「La Campanella」を超絶技巧のピアノ曲に仕上げました。

 

その後1838年以降、リストはこの作品の調性を何度も改訂し、現在演奏されている作品は改定後のものです。

 

パガニーニの原曲は、ロ短調(#2つ)ですが、リストは…

  • 第1稿を、イ短調(調号無し)
  • 第2稿は、変イ短調(♭7つ)
  • 第3稿は、嬰ト短(#5つ)

「輝かしい鐘の音」を表現するために、調性選びに試行錯誤したようです。

 

 

La Campanella Op.7(ラ・カンパネッラ 作品 7)

 こちらは、オリジナルのバイオリン作品の「La Campanella」です。

下記の、ピアノ曲に編曲されたものと聴き比べてみると楽しいです!

 

演奏:David Garrett(デイヴィッド・ギャレット)


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フランツ・リスト編曲 パガニーニ「カンパネッラ」

大ピアニストのリストが「カンパネッラ」を編曲すると…

同じ曲でも、こんなに感じが変わります。

 

みなさまは、オリジナルのバイオリン曲のカンパネッラと、ピアノ用に編曲されたものと、どちらがお好みですか??? (*^▽^*)

 

演奏:Evgeny Kissin(エフゲニー・キーシン


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 ラフマニノフ作曲 「パガニーニの主題によるラプソディー」

パガニーニの音楽に感銘を受けたラフマニノフも、パガニーニカプリッチョの中から24番のテーマを用いて、ロマンティックな変奏曲を仕上げました。

 

こちらの変奏曲の第18変奏は、特に有名ですので、どこかで耳にされたことがある方も多いのではないでしょうか。

 


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この作品を聴いてみると、

「どこにパガニーニカプリッチョのテーマのメロディが出てくるの???」と思いませんか?

 

実は、第18変奏は、パガニーニの書いたテーマ(下記の写真の上の楽譜)の音型を、鏡に映したように逆さまにして、書かれています!

 

そんなところに注目して聴いてみるのも面白い作品です。(*^▽^*)

 

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 (Wikipediaより引用させていただきました)

 

1831年、ニコロは、ロンドンでも演奏会を開きますが、入場料が高かったため、イギリスではあまり人気を得られず、再びパリに戻ります。

 

パリに滞在中、ニコロは、名器のストラディバリや、グァルネリを手に入れました。

 

バイオリンだけでなくストラディバリの素晴らしいビオラも手に入れたニコロは、作曲家ベルリオーズを訪ね、幻想交響曲のような形式でビオラをソロ楽器とした作品を依頼。

 

しかし、ベルリオーズがこの時書いた幻想曲(後の傑作「イタリアのハロルド」の原型となった)は、ソロの部分が少なかったことなどから、ニコロは、あまり気に入らず、この作品はこの時完成されませんでした。

 

1834年、ニコロは、故郷ジェノヴァに帰るとすぐに家を買い、パルマ近郊に別荘も買い贅沢な暮らしをしました。

 

ニコロは、演奏旅行で外国暮らしが長かったこともあり、故郷のイタリアをいつも懐かしんでいたようです。

 

イタリアはいたるところに音楽がある。パンがないときでもイタリア人は歌を歌う。情熱が歌を求めるのだと思う。

(フランツ・ファルガ著「小説パガニーニ」より引用)

 

1839年半ばごろ、すでに体調が思わしくなかったニコロは、パリを去って、息子アキッレと南フランスへ向かいます。

 

このころから、ニコロは、だんだん公の場で演奏しなくなっていましたが、南フランスのマルセイユで友人達と、自身の作曲したギター四重奏曲や、ベートーヴェンの四重奏曲を好んで演奏していました。

 

体調があまり良くなく、この時はバイオリンではなくギターやビオラのパートを好んで弾いていたようです。

 

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南フランス ニース

 

1839年の夏に、療養を兼ねて温泉に滞在しましたが、体力は日に日に衰えていきました。

 

咽頭炎や腸の病などに苦しみながら、良い医者にも恵まれず、梅毒や結核などと診断され、その治療に使っていた薬のせいで水銀中毒になり、病状はさらに悪化してしまいました。

 

この年の冬ニコロは、もう歩くことも難しくなり、担架に乗せられて友人が借りてくれたニースの別荘へ行きました。

 

愛息子アキッレの献身的な看病にもかかわらず、1840年5月27日、57歳で永遠の眠りにつきました。

 

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パガニーニ音楽史上に残した功績 

パガニーニより以前のバロック時代や古典派時代の「演奏家」は、宮廷につかえる下働き?のような身分でしたが、パガニーニは「演奏家」という地位を初めて切り開いた音楽家と言えます。

 

フランス革命を経て、市民社会に変わりつつあったベートーヴェンの時代以降、音楽を楽しむ層も、

  • 貴族から一般大衆に移ったこと
  • 楽器が改良されてさらに、音域や演奏技術向上の可能性が広がったこと

などの要因も重なり「演奏家」が注目される、現代の演奏会のような形態が出来ました。

 

そんな過渡期の時代に現れたパガニーニの演奏や作品は、これまでの時代との転換点となりました。

 

 

おまけ 映画「パガニーニ 愛と狂気のバイオリニスト」 

ご覧になった方も多いと思いますが、ドイツで制作された、パガニーニの伝記映画をご紹介いたします。

 

主演は、先ほど動画でもご紹介した、David Garrett(デイヴィッド・ギャレット)です。

 

伝説的天才バイオリニスト、パガニーニの波乱万丈の人生を人気モデルで、バイオリニストのデイヴィッド・ギャレットが主演及び製作総指揮をして映画化された作品。

 

ギャレットの5億円のストラディバリウスでの演奏も素晴らしいです!

 

デイヴィッド・ギャレット略歴

1980年9月4日 

ドイツのアーヘン生まれ


ドイツ出身のアメリカ合衆国のヴァイオリニスト、モデル。
父親はドイツ人、母親はアメリカ人。

本名はダーフィト・ボンガルツ (David Bongartz) で、ギャレットは母親の旧姓。


先にヴァイオリンを習っていた兄のために父親が買ってきたヴァイオリンに興味を覚え、4歳の時にヴァイオリンを習い始める。

 

13歳でドイツ・グラモフォンと契約し、2枚のCDを録音し、ドイツやオランダのテレビに出演。

黄金時代の名器の一つに数えられる「ストラディヴァリウス・サン・ロレンツォ」を提供されて使うようになる。

 

14歳の時にドイツ・グラモフォン社と専属契約を結ぶ。

 

17歳の時に、インド独立50周年を記念する演奏会に出演し、デリーとムンバイでズービン・メータの指揮するミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団と共演。

同年、両親に内緒でジュリアード音楽学校の試験を受け合格し、ニューヨークへ移る。

ジュリアードに在学中のニューヨーク時代に、イツァーク・パールマンに入門した最初の学生になるとともに、学費を稼ぐためにモデルとして収入を得た。ファッション誌の記者からは、「クラシック界のベッカム」になぞらえられた。

 

それまではほぼ個人レッスンか自宅での学習だったため、ジュリアード音楽院に通ったのが、初めての学校生活となった。

父と決別し、モデルのアルバイトで生活費を稼ぐ。

 

その後はロンドン王立音楽大学に学ぶ。
2004年に、ジュリアード音楽学校を卒業。 


2013年、映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』の主演・製作総指揮・音楽を担当。

 

2014年、7月11日映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』が日本公開。6月11日にはジャパンプレミアが行われ、本人も来日。

同日には映画にインスパイアされたアルバム『愛と狂気のヴァイオリニスト』が発売された。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

  

 

 

 

 

 

参考文献

  • Riccardo Allorto「Nuova storia della musica」

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。